2種類の情報とのかかわり方を考える

カバンの中に久しぶりの本をつめて、空き時間に読んでいたら、おや?と思う文章が目に飛び込んできました。

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ー始める前にたくさんの情報に触れて、逆に主体性が失われてしまうといったことは、自分をかえりみても感じます。選択可能な将来のアイデアばかり増えて結局は何も選べないとか。
あるいは見事にやっている人の姿を見て、「(自分には)ああはできない」と圧倒されてしまったり。

パッツィー
迷いを増やすために情報があるとでもいうような状況は、アメリカも変わらないと思います。
(引用:自分をいかして生きる)

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本書を始めて手に取った数年前は目に入らなかったのに、いまこうして自分の目に飛び込んでくるのは、何か理由があるからなのかもしれない。

なんだろう、と考えてみると、「情報との関わり方」についてここ最近自分の関心が強いことに気がついた。

人は、日々たくさんの情報にふれていると思うのだけど、情報の出どころには大雑把に2種類あると感じている。

外側からの情報と、内側からの情報。

外側の情報とは、外的な要因で得たもので、本とか、ニュースとか、自分ではない他の誰かとか、そういう類のもの。

内側からの情報とは、自分の中から湧いてでてくるもののこと。例えば、美味しいご飯をたべたときに感じる「おいしい」とか、「どうやったらこの味になるんだろう?」 とか「体だけじゃなく、心も満たされる感じがする」とか、そういう自分の気持ちや、人に言うまではない、とてもプライベートな自分の感覚とか。

外側の情報と、内側の情報は、相互的に作用してると思う。外側の情報を取り入れるとその刺激で内側からなにかが湧いてくる。内側の情報を外に出して見ることで、それがまた思わぬ形で外側の情報に形をかえて自分に返って来る。その逆もまたしかりで、それがくるくる連続している感じ。

このどちらかが、偏りすぎていると、どこかに機能不全を起こすんじゃないか。外からの情報を入れすぎると、内側は自分じゃないものでぱんぱんに膨れ上がり、自分の内側に目を向けられなくなるし、

内側の情報に目を向けすぎるのも、それはそれで不健全だ。主観100%の世界もそれはまた怖いものがある。

だから、両方大事だよね、と思うのだけど、今のわたし達の時代は、外側からの情報があまりに多すぎて、自分の内側に耳を傾ける機会が減っているように、ぼくには見える。

外側の情報をすべてシャットアウトして、自分の内側に耳を傾ける時間をつくることは、大切だとおもう。

一度でも自分の内側に気づく体験を意識的に感じられたら、その感覚を頼りにして、また内側に耳を傾けようとすることが出来るとおもうから。

Relaxcampでは、電子機器はすべてOFFにすることをオススメしているのも、そういう想いがあってのことです。

自分の中の、内と外とのバランスを、うまくとれるような機会になったらいい。

よししげ

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