「たべること」

ここ最近、「たべること」に強烈な関心を抱いています。

ぼくは平日は、有機野菜の流通を行っている会社に出入りさせてもらっていて、
そこで野菜の手配をしたり、色んな産地の有機野菜を実際に取り寄せて味を確かめてみたりするのだけど、
なんにも調理しない野菜そのものを口にすることが多い。

それと同時に、休日は自分の家の畑仕事を手伝い、野菜や山の恵みをとりに言ってたべたりしている。
平日も朝と夜は家でご飯を食べるし、お昼は弁当。だから大体、自分の家で取れた野菜を口にしている。

そんな環境もあってか、かなり意識的に「たべること」を行っている。
“意識的に”というのは、野菜を口に含んだときに、その野菜の味がどんな味なのか?
をなるべくなるべく正確に読み取ろうとしている。

不思議なもんで、野菜の味を具体的に表現するのは、至難の業で、「あまい」とか「おいしい」とかっていう言葉はひどく抽象的なんだな。ということに気づかされた。

その「あまさ」っていうのは、トマトのあまさと、スナックえんどうのあまさは全くの別物なんです。
それを表現するには、どうしても、食べたときの鼻から味が抜けていく感じとか、体のどの部分が反応しているとか、
何秒くらいに甘さのピークがきて、後味がどういうふうに消えていくのかとか、
そういった「たべること」の体験自体を読み取っていかないと、なかなか表現できない。読み取ったとしても、表現しきれない。

で、”意識的に”と書いたけど、やっている本人はなんでそれをやっているかがわからない。
なんでやっているかがわからないけど、”意識的に”「たべること」をしているわけです。

これは一体どういうことだ?と昨日お風呂に入りながら考えていて、ふと気づいたことがありました。

多分、「たべること」を通して、目の前にある野菜の「いのち」に触れたいんだと思います。
目の前にある「いのち」は、一体どういう過程を経て育って、どんな困難に触れながらそれを乗り越えてきて、そしてどういう生物環境の中で生き残ってきたのか。「生きている」ということのデータ収集です。
そして、それは目の前にある「いのち」とぼくという「いのち」のコミュニケーションです。

「今までどんな生き方をしてきたの」
「育った土地の環境はどうだった?好き?嫌い?」
「今どんな気持ちなの?」
「どうしたら、こんな味わいが出せるんだろう?」

目の前にある「いのち」を”意識的に”「たべること」で、コミュニケーションをとっているのだと思います。

よししげ

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